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EverLearning!

野本 竜哉 による、ICT機器を活用した学習の動向をレポートするブログ。ここでの投稿内容は、所属組織を代表するものではなく、あくまで個人としての情報発信となります。

リテラシー教育から逃げる大人たちの責任

前々回のLINE悪者論に見る情報リテラシーの問題 の続編です。
文中にでてくる「+2、+1、±0、-1、-2」の意味は以下を踏まえています。

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情報リテラシーの5段階:筆者が勝手に定義

 

前回のLINEだったり、携帯のwebサイトなりアプリなりもそうですが、大人達は基本的に子ども達や若者の考え方や価値観を理解してくれず、しかもきちんとした説明をせずに「禁止」とか「制限」をしようとします。それによって失われるメリットや便利さについてはお構い無しです。その便利さを補う代案なんてまず、出てきません。
子どもや若者側の考えや価値観には興味を示さない一方で、自分たちの考えや価値観・判断基準は押し付ける。しかもそんな事情が分かっていない大人達が

「ネット依存」だとか

「スマホチルドレン」だとか

よく分からない言葉を作っては若い世代をひとくくりにしておもちゃにする。そしてそういう記事が沢山読まれる。なので似たような記事や本が増えて、売れる。実にばかばかしくないでしょうか?

良く分からないものに対して、「根本解決策」などと称して「使う事自体を禁止する」というのは最高の愚策です。文句無しの-2な対応です。なにせ、なにも考えていませんから。そしたら対策されていない別サービスに人が動いてまた同じ事が起きるだけ。それを「イタチごっこ」と称して後から頭を抱えるのも実に滑稽です。−2の対応が次の−2を呼ぶ事になるでしょう。

私はかなり前から、こうした事情に対する大人達の不理解こそが罪だと思っています。タイトルのリテラシー教育とは、「大人→子ども」だけではなく、「大人自身」の事も指しています。そもそも、子ども達の間で問題になっている事に対して大人がしっかりと入っていって、実態を把握してから、どう対処するかを考えるべき。ことさらweb上のサービスは、便利の裏に潜むリスクがあるので、そこを分かった上で判断しなければ絶対に良い解決策は出ないのです。

 

そんな中で、今週、素晴らしい取り組みを見つけました。小学校の高学年の「総合的な学習」の時間の中で、生徒達にFacebookを使って情報発信や学校外の大人達とのコミュニケーションの取り方を教える、というもの。デジタル教科書学会の会長でもあり、教育ICT分野でも非常に活躍していらっしゃる新潟大学教育学部附属小学校の片山 敏郎先生が実践されたものです。

Facebookを活用した総合的な学習…ネット時代のコミュニケーション力
http://resemom.jp/article/2013/08/07/14692.html

このような、実際にリスクを分かった上で、でもメリットを活かし、きちんと正しい使い方を教える。これから多感な中学生に入ってくる前に、こうした指導がきちんとされていたら…。そう思います。

本来であれば、多くの親や大人がこうした指導をきちんと行うべきなのです。ですが、実際にはそれはなかなか出来ていないし、難しいのが実態。そんな状況を裏付けるかのごとく、今週、こちらのブログの記事がとても話題になりました。

(少々性的な表現が登場しますが敢えて紹介します。)
「私のいる世界」
http://luvlife.hatenablog.com/entry/2013/08/07/221155
=====一部引用====

ネットで犯罪告白して炎上したDQNたちはインターネットがわかってないって批判もされてるけど、そもそもインターネットなんて誰も教えてくれない世界だから。

私は学校にまともに行ってなかったから、もしかしたら学校で少しはやったのかもしれないけど、でも私自身は、インターネットなんて学校で習わなかった。

だから私の友達もだいたいインターネットなんて知らない。

ミクシィやフェイスブックは知ってても、インターネット、っていうのは知らない。

携帯やスマホでケータイ小説読んだり日記書いたり写真載せたり動画見たりコメント書いたりしてるけど、でも、インターネット、って知らない。

自分が使ってるのがインターネット、ってこと、知らない。

 使ってるのは、携帯だし、スマホだし。

パソコン持ってない人多いし、インターネットはパソコンでやるものだと思ってる。

スマホだって、うちの職場のおばさんたちは、それがなにかちゃんと知ってない。

=====引用おわり====

 

同じく、同様の点に言及しているのがこちらのブログです。

低学歴と高学歴の世界の溝
http://anond.hatelabo.jp/touch/20130809115823
=====一部引用====

地元は田舎だからか両親ともに兄弟が多くて、いとことか30人くらいいるんだけど、その中で大学に行かせてもらったのは俺くらい。

俺の両親は、他のいとこが次々と中卒・高卒で働き始めたりしているのを横目に、頑張って俺を大学まで行かせてくれた。

両親が大学まで俺を行かせたかった理由としては学歴コンプレックスもあったのだと思うけど、それ以上に今後生きて行く上で大切な友達や結婚相手の階層のレベルをあげてやりたいってことがあったのだと思う。  

実家に帰ると、親戚の誰それが結婚した、でも結婚相手はどうしようもないバカでパチンコばかりで家族そろって金を無心にくる、という似たような話がゴロゴロ。

不倫・バツ1・再婚・生活保護・パチンコ・ギャンブル・騙した・騙された・蒸発、、、あげれば切りがないけどそんな話がゴロゴロゴロゴロ。

ほんと、子供がDQNの家庭は親も間違いなくDQN

=====引用おわり====

この「親世代」の問題はとても難しく、重い。ただ、手当できるのは、私たちほかの大人であり、社会しか無いと思うのです。
少なくとも、こういう世界の違いを認識する必要が有る。そこに対して出来る事をするのが大人達の責任。もちろん、異なる「世界」の中に居る人を無理矢理、違う世界に引っ張りだす事がすべて正解とは限りませんが、出たいと思っている人たちを引き上げる仕組みは作りたいとも思うのです。
(ちなみに少し前に、Twitter上で”日本には格差なんてない、格差があると思う事自体が甘え”という論が紛糾したことがありましたが、私はまだまだ格差があると思っています。そして、その格差を”感じさせ”、”超えられない”と思わせているのも大人達であるという現実に、非常に皮肉を感じます)

が、こうした課題の解決を大人達が学校に対して求めすぎるのも間違っている事だと思っています。「それは◯◯の仕事でしょ」と、役割で線を引いて自分は動かないのと同意。それではダメですよね。

若者の問題。ニートの問題。投票率の問題。就職難の問題。それらに対して、私たち大人は無関係と言えますか。今の問題のある社会を作り出しているのは、私たち大人ですよね。これらの問題は彼ら若者の問題ではなく、それを許した私たち大人の責任だと思うのです。まず、私たちに責任がある事を認めるべき。

そして、大人達の問題の解決策は一つではないと思います。しかしながら、その一つとして、私はリテラシー教育がカギを握ると考えます。教育、といっても、それは学校だけでなく、だれでも出来る事。「私のいる世界」のブログ記事の中で、ネットの使い方を教える人が登場しますが、こうした事ができる人は沢山いるはずです。表現の善し悪しは置いておいて、もう一つのブログ記事における「高学歴の世界」に居る大人達は、それが出来る大人達だとも言えます。LINEや新しいサービスを自ら使い、リテラシーを+2にしましょう。そして、若者と同じ目線で問題に対する対処策を考えましょう。それを横展開してもよいと思います。そして、頭ごなしに「禁止」や「制限」をする動きに対しては、意義を唱えましょう。
これは、私たち大人が次の世代を育てる為の「責務」だと、私は考えています。

皆さんは、どうでしょうか。