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EverLearning!

野本 竜哉 による、ICT機器を活用した学習の動向をレポートするブログ。ここでの投稿内容は、所属組織を代表するものではなく、あくまで個人としての情報発信となります。

続・なぜ学校にICTは普及しにくいのか? -学校特異の問題か、否か-

前回の記事「なぜ学校にICTは普及しにくいのか? -”共有”の壁-」が想像以上の反響を呼び、TwitterFacebookでは様々なツッコミやディスカッションの様子を見る事ができました。その中でいくつか大変建設的な反論や異論、そして素晴らしい提言も頂戴しましたので、それを元にこの課題をもう少し掘り下げてみたいと思います。


まず、Facebookで大変思慮深いコメントを下さった方がいらっしゃいます。ご本人に許可を頂いた上で、その内容を紹介致します。コメントを下さったのは西尾 琢郎さんです。
==以下引用==
共有の壁」というのは分析概念としては理解できますが、それを学校特有の文化と見るのはちょっと違うのではないかと感じました。「企業的な発想からでてきた「共有」の概念」というくだりがまさにそうですが、企業におけるノウハウ共有、例えばそれを前提としたSFAの浸透にどれほどの障害があったかは、IT化のプロセスを直に体験してきた企業人なら、誰もが実感として持っている筈です。つまり、野本さんが探している問いの答えは「未だ見ぬどこか」ではなくて、実は多くの企業が経てきた体験の中にこそ数多くあるんじゃないでしょうか。
野本さんの世代が社会に出たとき、すでにそこにあったかもしれないITを活かした共有の文化は、実は現在の学校が直面していたような壁を越えて生み出されてきたものだということです。つまり野本さんは「共有文化ネイティブ」な世代の企業人だとも言えるでしょう。学校は企業と違う文化を持っている、というよりも、そこには時差があるのだろう、と私は見ています(逆に言えば今現在に限って言えば、野本さんの見立て通りなのですけれども)。
もちろんすっかり同じ道を辿るわけではないと思いますが、企業的な発想の産物として共有という文化がある、という考えより、企業でさえも苦労した「共有という行為が持つ価値の共有(笑)」の困難さに今学校が直面している、と考えるなら、さまざまな方面から、さらに多くの示唆が得られるのではないかと思うのですがいかがでしょうか。
私はこのエントリで野本さんが挙げておられる取り組みの具体策自体には、かなりの部分で共感します。ただし出発点として「企業とは異質な学校文化」というバイアスがかかることはあまりプラスにならないだろうと感じた次第です。
==引用以上==

この、指摘はしつつも強すぎず、しかも本質を突いたコメントには一読して思わず唸りました。(同時に、こういう文章が書ける人になりたいなぁと思ったのはここだけの話です)


まさに私には「企業とは異質な学校文化というバイアス(思い込み・偏向)」がありました。おそらく自分以外にもこのバイアスを持つ人は(特に企業には)少なくないと思われます。特に学校への商材・製品の提案に挑戦した経験のある方は部分的に同意される方が多いのではと推測します。
というのも、学校に対しては「企業に対して行う営業アプローチ」のかなりの部分は通用しないと言われているからです。学校の文化や仕組み、考え方、決裁権の在処などを把握した上で動かないと、双方に取ってWIN-WINな関係は構築しにくい。そういう意味で「異質」と捉えている人は多いと思いますが、それは表面上の話。

「組織」として中を見てみると、実は”業務”への取り組み方はそんなに企業とは差がないのではないか。常に忙しいし、様々な横やりは入るし、人や時間はいつも足りない。様々な特有の制約条件の下で課題に取り組み、少しずつ解決や妥協をして前に進む。これらは企業でも学校でもそれ以外の団体でも、なんら組織として進んでいくには「変わりがない」ことだと言えると思います。
私の場合はその表面上の異質性を学校の”業務”の世界にまで適用していたことが誤った「バイヤス」の弊害であったと反省しています。
※勿論、各論において考慮すべき差異はありますが、それは企業においても製造業と金融業でまったく世界が違うのと同様、とも言えるかもしれません


上記の指摘を踏まえ、改めて前回指摘した「ICTが普及しにくい要因と解決策」を再考してみます。キーワードとして「学校特異の問題か、否か」で考えています。

・先生達の”独自スタイル”が共有を阻んでいる
これについては「うちは頑張ってやっているよ!」という声が少なからず聞こえてきて嬉しかったです。一方でFacebookTwitterで(先生を含め)多くの方がこの指摘を「一理ある」としてくれたように、少なくともweb上(SNS上)の方達の意見としては「現時点」では学校現場ではまだこの問題が残っていると捉えられていると言えます。それは「企業から見たら特異」な問題とも言えます。ただこの問題は「時差」であれば、近い将来解消するかと思いますが、実は私はこれについては「時差」とは言えず、別の手当が必要だと思っています。これはもう少し根拠を集めてからまた触れたいと思います。

・”独自スタイル”の変更には時間がかかる
これもweb上で確認できた意見の中では大筋で合意を得られていたと思います。ただ、これについては企業でも同じ課題を抱えているケースが今でもあるので「学校特異の問題」とは言えないと思います。なお、企業の過去の経験では、ICTの活用やFace to Faceによる情報共有を続けた結果”ベテラン勢”の考え方が変わった成果も見られます。これと同じ事が学校でも起こせると思いますし、その為に企業の先行事例が提供できたら良いなとも思います。


・解決策1:所々使えそうなパーツを共有する
これもSNS上では多くの方から賛同を得られた一方、そのパーツを集めた「データベース」の運営には色々な課題があるだろう、という将来を見据えた議論、例えば”玉石混合とならないよう適宜「キュレーション」や「レコメンド」する仕組みや、内容の正しさを担保する仕組みが必要”といった声がありました。こうしたソリューションは既に企業が多く持っているので、ここは上手く相互協力ができれば解決しそうです。
一方で「このパーツ単位のデータベースが結局韓国のiScreamと同じ結果を生むのでは」という指摘については留意が必要でしょう。
ただ、このパーツの共有を進めるには、「現時点での」特異な問題は解消する必要があると思います。

・解決策2:ガイドラインを設定する
これは「学習指導要領がガイドラインになるのでは?」という声が有りましたが、個人的にはガイドラインは現場ごとの先生達の”総意”として作った方がよいと思っています。絶対的なものとして押し付けられるとガイドラインというより「ルール」になり、「また上から変なもの押し付けられたよ…」という話になってしまう危険性があるからです。ただ、上から押し付けられたものへの対応や、自分たちでルールを作るという点は別に学校特異のものではなく、企業でも当たり前にやっていることです。言い換えれば企業のノウハウが適用できる部分は多分に有るはずです。

ここまでを纏めると、事例共有においては先生達の”独自スタイル”という当方の指摘は「現時点では」一定の正当性がありそうです。ただ、学校に内在する様々な要素について「共有する価値」を認めている人は少数派で、逆にデメリットに対する強い不安がある先生もいる事でしょう。ただ、それは既に先進的な取り組みや事例を残している先生達の成果が知れ渡る事で徐々に氷解していくと思います。

何よりも、私が自由になる時間を使って学校やイベントに繰り出し、その事例を纏め、書籍まで作ってすべて無料で世の中に公開している目的が、まさに「不安や懸念の氷解」です。今回は記事を読んでくださった皆様からの声で、私はある意味「原点に立ち返せていただいた」と言えます。ありがとうございます。


最後に、多く見られたコメントである「人・モノ・カネ」の問題の方が共有を阻んでいる主因だ!という指摘については、「必ずしもそうではない」と明言したいと思います。これも「学校特異の問題」とは言えないからです。

まず、モノについては今ある物を使って授業をしているのですから、その範囲での技術・教授法・教案・教材などは共有できない事はないと言えます。ある物で仕事をしているのはどの組織だって一緒です。
次にカネについては、確かに公立学校にはお金が無いとは言えますが、共有をする事自体にお金が必ずしも必要とは限らないと言えます。勿論、共有しやすいシステムや機器があればもっと進めやすいことは言うまでもありません。ただ、”共有する意識”が無ければそういうシステムはいくら入れたって無駄でしょう。

では最後の「人」、これは換言すれば「時間」と同意かもしれませんが、これについても私は「学校特有の”共有”の阻害要因」とは考えていません。
なぜならば、多くの課題が山積みであり、それを解決するには人も時間もとても足りない、というのは企業も同じだからです。例外は有るかもしれませんが、多くの組織はその日の業務時間ではとても消化しきれない業務を、限られた人員で消化しなければなりません。休日を返上してその課題に取り組む事も有ります。それを見た人がその状態を「ブラック企業」と呼ぶこともあるでしょう。ただ、企業は売上や利益を元に可能な範囲でしか人を雇えませんから、利益が出ない状況が続けば問答無用で人は減り、減員分は「工夫で何とかしろ」になります。企業で「人や時間があれば◯◯できる、◯◯したい」は、「実質的に出来ない」と同じと解釈され、「その対策も含めて考えるのがお前達の仕事だ!」と一蹴されて終了です。

なので、「その時間を捻出するにはどうすれば良いのか」を「その組織の人たちで考える」ことが重要です。仮に学校において”そのための時間”が充分確保されていないとしたら、仮に先生達が”自分の課題”を優先して組織全体の意思決定や議論に参画しないケースがあるとしたら、それはその組織の問題ということになります。勿論これは学校特異の問題ではなく、組織であればどこでも起きる可能性があります。
ただし、ここまでの「人・時間」の話は「業務時間内」における話です。

ここからは「学校特異の問題」として良いと思いますが、学校は「時間外の拘束時間が異様に長い」という問題があります。部活動の顧問は実質的にボランティアです。土日も地域や学校の行事にかり出され、手当は二束三文。また夜間に学校外で生徒が問題を起こし、先生が呼び出され対応に追われることもあります。(ちなみに筆者がアメリカの学校に通っていたときは、学校外で起きた生徒の問題には学校は一切学校は関与せず「家庭の問題」として処理されていました。)
ですので、学校の先生の「時間が不足感」は業務時間外において非常に深刻です。こうした業務による疲れの蓄積が共有を阻んでいる側面は、一面に置いてはあるかもしれません。(前回の記事ではこの言及が無かったので誤解された方がいらっしゃったようですが、当方は母親が公立中学の教師でしたし、周囲にも現役の先生が居るので、学校が校務・雑務にも追われている実情は理解している方かと思います)


とはいえ、時間を捻出する時間がない、という状態がずっと続いていては何の解決にもなりません。業務時間内でも時間外でも、企業も学校も、深刻に忙しい中で様々な課題に取り組んでいます。そのため、一部には「課題を解決した事例」も存在しています。それをうまく工夫して、自分たちの組織なりに最適化して取り入れることがとても大切だと思います。その中心にあるのが「共有」のはずで、そうした事例は既に多数あるにも関わらず「時間を捻出する時間がない」のまま止まっているのだとしたら、それこそ「共有」の壁があると言えるかもしれません。


なお、今回は自身が記事を書いて、ソーシャルメディアを中心に様々な反響に触れ、「これこそがまさに共有の価値」だと自身も再認識することが出来ました。結局の所、いろいろ書きましたが学校では現時点において「共有する事の価値感の共有」がまだ進んでいない事が真因なのかもしれません。そこに対して、何が出来るかを、これからも考えていきたいと思います。

今回の記事についてもまた、率直なご意見・ツッコミを募集していますので、宜しくお願い致します。


追記: 上記はweb上/SNS上の意見に対するレスポンスと、寄せられた意見から考えを深化させる目的で記事として書いたものです。
なお、web上/SNS上の声はあくまで限られた母集団の一部の声として捉えており、これを全体化する意図はありません。
※そのように読める可能性がある部分の表現を一部改めました。