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EverLearning!

野本 竜哉 による、ICT機器を活用した学習の動向をレポートするブログ。ここでの投稿内容は、所属組織を代表するものではなく、あくまで個人としての情報発信となります。

塾講師時代の過ちを一つ、告白します

※初出時、ICTが強化学力の向上に効果があると断定されるような記載がありましたので訂正しました。(2015/3/30 2:30)

私は大学-大学院生の時に3年間ほど、中学受験の算数/理科のグループ講師をしていました。その講師をはじめて間もない頃、私は教室内で日常的に行われる会話にある種の違和感を感じていました。

ご存知の通り、塾は「志望校の合格割合」「難関学校の合格者数」といった、客観的な「定量的成果」が重要視されます。これは生徒を募集する外部向けだけではなく、塾の内部でも重要な指標であり、往々にして講師や職員の意思決定基準にも関与します。特に成績上位の児童生徒はそれを満たすための「戦略要員」のような扱われ方をされる事も少なくありません。(この事の良い悪いの議論は今回の本質ではありませんので論ずるつもりはありません)

そうした考え方が端的に表れたシーンとして今でも鮮明に覚えているのが、次の内容です。

私は講師室で採点などの雑務を行っていたところ、二人の講師(この2名は同一教科を担当する上位クラスのベテランの講師と比較的経験の浅い下位クラスの講師)との間で、模試の結果に基づくクラス替えの議論をしていました。模試の集計をしながら、下位クラスから上位クラスに(どうやらお気に入りらしい児童が)移るとわかった際に、上位クラスの講師がこんなことを言いました。

「ウチ(上位クラス)の子(児童)たちは俺が志望校に合格させる。合格の意思が強いやつは上位クラスにどんどん引き上げるぞ。残りは下位クラスだ」

この発言に、思わず採点業務をやっている私の手が止まりました。そもそも特定の科目だけで志望校に合格することはない(でも、「自分が合格させた」的な発言はけっこう、ベテラン勢を中心によく聴いた)し、下位クラスにいる子が合格の意思がないわけでもない、そんな失礼な話あるか、この人は明確に偏差値の優劣で児童を仕分けしているのか、と感じてしまいました。ふと下位クラスの講師の顔色を伺うと、やはり相当不満そう。でもベテラン講師相手ともあって何も言えない、といった様子でした。発言した本人は全く意に介する様子がなかった中、嫌な雰囲気に。そこに、ちょうど同じ講師室に居合わせた別の講師が
「じゃあ下位クラスは残りカスとでも言いたいのか。そんな不用意な発言をするんじゃない!」
と怒ってくれました。これにはベテラン講師がすぐに
「すみません。そういう意味ではないんですが…」
と弁解し、その場は収まりましたが、両者には禍根が残ったのか、その後の関係性は急に悪くなってしまいました…。

 

そこから約2年半。自身としては3回目の受験シーズンが迫った頃、私は理科と算数で上位クラスを担当していました。ある時、下位クラスを担当する新任の講師から、受験も近づき授業も高度化しているが、授業にまだ自信がないので教案を見て欲しい、という相談を受けました。そこで週1のペースでその講師に、教室に早めに来てもらい、事前レクチャーをするようになりました。
私自身が担当する上位クラスは小学校4年生の頃から担当させてもらっていた(つまりこの時は受験の集大成)ということもあり、生徒にも愛着があり、頑張っている彼らを全力で支援していました。もちろん、大学院の授業や研究と並行しながらの塾講師はかなりハードで、規定の閉室時間ギリギリまで指導した後に採点や雑務に追われ、終電車で帰宅するという生活が定着。それらの生活をうまく時間を割り振り、回している自分のどこかに奢りが出てきていたのでしょう。

ある「事前レクチャー」のとき、直近のクラス分けテストの結果、自身の上位クラスにいる「ちょっとやる気に問題のある子」が下位クラスに落ち、代わりに躍進した「頑張り屋さんタイプの子」が上位クラスに上がることが、二人の間で話題になりました。そしてその時に、私はこう言ってしましました。
「上位クラスにやる気のある子が集まってくれてよかったよ。」
と。
そして、少しして隣で暗い顔をしてい新任の講師に気づきました。そしてようやく「しまった」と気づきました。自身が2年半前に間近で見ていた間違いを、自分も講師経験を積む間に、無意識のうちに犯してしまった、と。

上位クラスはもともと成績面では優れた子が集まっており、そこにやる気がある子が集まれば、授業運営も楽ですし、合格実績もついてきます。(逆に言えば、下位クラスは運営が難しく、課題のある児童生徒も多くなりがちで、悩む先生も多い)
でも、上位校の合格実績だけが塾として、もっと言えば教育として「成功」ではありません。それを自分も最初はわかっていたはずなのに、いつのまにか自分が「塾としての価値観」に染まっていたのです。このことは、もう随分長い間、自身としての反省として、胸の内にしまってきました。

ですが、この話を思い出し、文章にしたのには一つのきっかけがあります。最近仕事で教育とICTの世界に携わることが増えてきて、
「ICTの力で成績をもっと良くして、利用者をより上位校に引き上げていきたい!」
という声を良く聞くようになってきたからです。こうした声に、私は意識的に注意していかないと、また流されるかもしれないと感じたからです。

ICTで成績が良くなるかは、各地で検証が行われており、その因果関係はまだ明らかにされてはいません。それを追求すること自体は悪いこととは思いません。実際に各地の教育委員会や学校とお話しする中でICT導入に対して「学力向上」に期待する声は多い(良い悪いは別として、予算を確保するための理由付けとしての側面もあるのでしょう)のですが、学力向上がICT導入の主目的にはなってほしくありません。教育で重要なことは、生徒児童の可能性や感性を伸ばすこと、じっくりと自分と向き合い「考える」こと、「自分の興味関心」を引き出したり「やりたいこと」に気づいてもらうこと、「どういう学校に進みたい」「将来は何をしたい」というWillを持ってもらうこと、そのために「努力を継続できること」を学ぶこと、などなど。学校で学べる、得られる機会にはここには書ききれないくらい沢山の、「成績」という言葉では計れないものがあります。なにより「児童生徒の心身の向上」が重要なはずです。

もちろん、公教育、小中高、塾、大学など学校や教育機関の種別それぞれにおける違いは多々あり、それらを同一の俎上で扱うつもりはありません。ただ、可視化可能な学力だけが全てではないという「あたりまえのこと」を改めて、しっかりと意識していかないといけないな、と自戒を込めて本エントリーとして残すことにしました。