EverLearning!

モチベーションワークス株式会社 および 一般社団法人iOSコンソーシアム 代表理事 野本 竜哉 による、ICT機器を活用した学習の動向をレポートするブログ。ここでの投稿内容は、所属組織を代表するものではなく、あくまで個人としての情報発信となります。

教育ICT推進の背景1:挫折編

今回から数回にわたって、筆者がなぜ「教育ICTの推進という考えを持つに至ったか」について、筆者の過去を投稿していきたいと思います。実は、13年以上前の、自分がまだ「生徒」だった頃から、教育にICTが入ってくる事によって世の中がもっと変わるのでは、と考えていました。
私は高校2年生の頃からホームページなどに自身の日記をつけていた事も有り、かなり「当時の自身の考え方」が風化されずに残っていました。そのため、以下の文章はそれらを参考に構成したものです。なお、同様の文章はFacebookにも「ノート」という形で公開していましたが、比較的目立たない場所にある事と、Facebookをやっていない読者の方も少なからずいらっしゃる事を勘案して、今回こちらにも掲載する事としました。


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自身が高校2年生だった頃の話です。

私は、「数学アレルギー」を発症しました。進級と同時に理系・文系に別れ、それにあわせた教科担当の変更、特に数学の先生が変わったのが痛手になりました。

 

以前の数学の先生の授業が特段分かりやすかった訳ではありません。しかし、数学は積み重ねの学問。手を動かし汗をかく、考える事が大切です。そうした考えがあってのことなのか、その先生は必ず毎回、次の授業までに「課題」を出し、実質的にその日のうちに攻略しなければならない状況にしていました。これが習慣化した事で自身の「授業への追従」がなんとか可能になっていた。一定量、課題が貯まったところで解説付き回答を配布するというスタイルも良かった。

 

しかし2年になってからの数学担当は、あまり課題を出さないし、解説に時間を使わない先生でした。また、学者肌が強いのか数学用語や独特の言葉を使用するため取っ付きにくく、ベクトルや複素数など新しい概念を学ぶ際、これが非常に重荷になりました。学生からの質問も少々付き合った挙げ句、「分かれ。」と一刀両断されたり、問題を解く際に少し脇道にそれて(これ自体が授業の準備不足?)、答えが直ぐに出せそうにない状況に陥ると「やめた、戦意喪失」等と言ってその問題への対応を後回しにしてしまう。(そのまま解説が無かった事もあった)結果、自分の中で不明点が山積し、ついには数学の授業が嫌になってしまいました。

 

高校3年生の時になると、そうした授業に「慣れ」や「独力での努力」によって追従していったクラスメートとの差が歴然になってきます。出身校は進学校であったため、周りは受験に向け粛々と準備を進めていく中で、取り残された自分は絶望感すら感じるようになりました。

この頃、数学は教科書すら開くのが嫌になっており、数学が前提になっている物理や化学でも同じような問題が次々に表面化してきたのです。

 

自身の努力不足や、「課題を与えられないとやらない」という当時の性格が大いに問題であった非は今では反省するものの、当時の自分が書き綴っていた文章には

「数学担当は他に良い先生がいっぱい居る。なんでそれを生徒の方から 選ぶことができないんだ。理不尽だろ。」

「周囲においていかれている、頑張っても分からない、という絶望的な状況を先生は笑って一言”やるしかないからねー”って、どうなんだ」

といった、行き場の無い怒りの記載がありました。この前後にはちょっと公開するのが憚られるような攻撃的な文言も。だが、今となっては自分の努力不足は認めつつも、当時のこの主張には一定の正しさがあったのでは、と思うところもあります。

 

世の中、いわゆる「出来る人」の多くは、「出来ない人」の心情を理解できません。何かの問題を解く為の「前提」が理解できないのでその先にも当然進めません。しかし周囲を見ると今更自分一人だけ土台を積む作業に戻る勇気も持てないものです。そんな中 安易に「こうやったらいいじゃん」と言われる事が、どれだけ苦しかったことか。そうした状況に不満を持つ事は別に変ではないはずです。

 

それに、学生から見たら授業は「学校が提供する最重要のサービス」でありその品質に問題があるならば、改善してほしい。それは社会人になった今になって振り返れば、実は自然なものの考え方だったと思います。その後、3年間ほど塾の講師をした際には、「授業時間の限界」や「できる生徒への対応」といった側面があることから先生の行動もやむを得ない部分が有ると思えるようになりましたが、当時の「分からないのは学生の努力不足」とも取れる言葉は、責任が生徒に転嫁されているようで非常に腹立たしく、それが絶望を煽っていたのが本音でした。そうしたコンプレックスが積算される事で人は道を踏みこともあるんだな、と思えたくらいでした。

 

ただ、当時の自分は、何も対策をしようとしなかった訳ではありません。自分なりに考え、書店におもむき、基礎部分を分かりやすく記述した解説本やなるべく解答解説が細かい問題集を手に取り、少しでも追いつこうとはしました。しかし、それは皮肉にも「授業に勝るものはない」という結論を助長したのです。手に付かない問題集・参考書ばかりが本棚に増え、かえってプレッシャーを与えられることになってしまいました。

 

だが、その時に色んな問題集を手に取りながら、書店で思った事があります。数学の解答や解説は、よく紙面の都合で「図」や途中経過が省略されていました。当時既にインターネットを使い始めていた自身としては、こうした「紙面の都合」はネット上なら解決できるんじゃないか、とか、証明問題の進め方やグラフの描画はPCのソフトなんかでもっと直感的に分かるんじゃないか、と。1999年〜2000年の時の自分は、既にそんな事を考えていたのです。

 

ICTによる教育改革の可能性を意識し始めたのは、ちょうどこの頃からでした。

 

「挫折した人間を、パソコンが救う事はできないんだろうか」

当時の日記には、既にこんな記述がありました。

 

実は、そうした考えを決定づける出来事が、高校3年の冬に起きたのです。ソニーがハンドヘルドコンピュータ「CLIE」を発売した事でした。(次回に続く)