読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

EverLearning!

野本 竜哉 による、ICT機器を活用した学習の動向をレポートするブログ。ここでの投稿内容は、所属組織を代表するものではなく、あくまで個人としての情報発信となります。

教育ICT推進の背景3:”軸”編

 

激しい数学アレルギー対策を含め、受験に立ち向かう勇気こそ得たものの、絶対的な学習時間はどう考えても足りず、センター試験惨敗、単願の国立大学も不合格。しかも、国公立の後期出願をし忘れるという超ド級のチョンボをやらかし前期試験発表の段階で浪人が確定するという事態になってしまいました。

 

そこで、地元の河合塾に通う事になりました。期せずしてそれは2年間になってしまったのですが…その間、自宅のPCの老朽化(と自分が切望していた)新たなPCであるVAIOを手にし、CLIEなどのデジタル機器を活用しながら、予備校に通っていました。(まだこうした機器が珍しかったので周囲からは奇異な目で見られましたが)

 

当時の私の日記にはVAIOなどソニーのデジタル機器の教育活用の記述が(いま見るとこじつけとも取れる内容を含め)かなり多かったのですがソニー以外の商品も追いかけていて、こんな記事を書いていました。

 

コクヨがすげーモノを作った。(略)ホワイトボードに貼り付けると、ボードに書いたものがパソコンに転送できるという物で製品名は「mimio」という。 

(略)

私は教育学とITの融合ということを真剣に考えていて、コレをやりたいがために大学に行くことを考えているわけだが、そういう自分としてはこの製品は見逃せない。なにせホワイトボードに書いた内容がそのままパソコンに転送できてしまい、それを画像として保存したり、さらには書いている途中経過を映像として記録しパソコンで再生もできてしまう。もっと驚いたのがプロジェクターからホワイトボードに投影したパソコンの画面をホワイトボード上で操作出来るということ。

(略)

この製品は教育現場を大きく変える可能性を持っている。いつまでたっても「黒板とチョーク」というアナログな物から脱することが出来ない学校だが、この製品は導入コストも比較的安く(定価88、000、おそらく実売価格は7万円前後)、しかもパソコンとホワイトボードさえあればすぐに利用可能という手軽さもあって、今後確実に浸透していくだろう。

 

斜体部分は当時の日記から一言一句そのまま引用。すでにmimioは発売停止になってしまったが、どうようのコンセプトの製品は「スマートボード」という名前で一部の学校には導入されていて、10年の時を経てこの予測が(部分的には)現実になったことにちょっと驚いています。

常時携帯するデジタル機器にしても、こうした教室向けの新ソリューションにしても、ICTが教育を変える一つの原動力になるという予測と展望は常に持ち続けていました。

 

また、予備校に通いはじめてすぐ、私は有る事に気づきました。

「高校の授業よりも、圧倒的に”質”が高く感じる。」

 

平易な言葉で難しい事を分かりやすいように伝えている。適宜、冗談を交えつつ授業を「面白い」と感じさせるトークを展開している。休んでしまった授業も録画映像が視聴できるようになっている。

テキストはレベル分けされていて、内容もかなり研究されている。

 

つまり「授業が面白かった」のです。確かに、すでに高校で学んだ内容の復習だから吸収できるポイントが多くなったのも一因かもしれませんが、内容について帰宅して少し調べてみようとか、早いうちに習った解法を試してみようとか、そういった気分になる事が多かったのです。高校の先生が皆ダメという事はないのですが、「聞かせるテク」や「上手いトーク」等、聞き手を引付ける「話法」を体得している講師が多かった事がそう思わせたのでしょう。

 

また、極めつけは数学の先生がかなり親身になって、問題の解説や勉強のアドバイスをしてくれた事でした。有る程度クラス分けにより先生も生徒のレベル感を把握しているので「こんな事も出来ないのかコイツは」的な高校の先生が出していたオーラが無かった。質問受付の為に暫く講師室に残ってくれる先生は相当有り難かった。

 

そんな状況でしたから、「そりゃ、早い段階から塾に通う人は有利だ…」と思いました。ただ、それには相応のお金が必要になる。やはり、それなりにお金を出せば、質のいい教育が受けられるのだな、という考えが現実感を持って受け止められ始めたのがこの頃からでした。

 

そして、ちょうど私が浪人していた頃に「ゆとり教育」が登場します。以下は、2001年の7月当時の自身が日記に綴った教育への疑問です。

 

私が知っている中で一番問題だと思うのはローマ字を教えない学校があることだ。ローマ字が出来ないということはすなわちPCでローマ字入力が出来ないことになる。かな入力を使えばいいといえばそれまでだが、IT社会化云々とか言っているこのご時世にこんなしょうもない負の要素を含む教育改革をやってどうするんだろうか。

ゆとり教育とか言って学校でやる勉強量が減る→やむなく親は塾に子を押し込む→結局親の資金力で子の学習環境に差がつく。すべての子に、個人差を考慮したうえで分かるまで平等に教えるという一見理想的に見えるこの政策は、最終的により大きな格差を生み出すような気がしてならない。

 

かなり攻撃的で論理も乱暴な文章ですが、ICTの活用や資金力による教育格差を当時の自分なりに問題視していた事だけは言えるでしょう。ゆとり教育の負の側面は、母親が中学校の教師ということもあって現場の生の声が自分に伝わってきた事から、日々問題意識が膨らんでいきます。

 

こうした事例から、自分の中では

「よい教育を受けるには、お金が必要」という現実と

「でも、それって不公平だし、なんとかしたい」という願いが強くなりました。

 

また、

「自分みたいに、先生に恵まれなくて受験自体を諦めた人が他にも居るかも」

「そうした人が再チャレンジできるような仕組みはどうすれば作れるのか?」

そんな事も考え始めました。

 

そして、至った結論が以下のような内容です。

勉強(強いて勉める)じゃダメだ 自ら学びたくなるようにしなくてはいけない。

ならば、学ぶ事をICTの力でエンターテインメントに変えよう。

誰だって知的好奇心は持っているし、それに触れやすくなる環境を作ろう。

そういったソフトウェアを作る人間に、自分はなりたい。

ドロップアウトした人、しかけている人を救う仕組みや、格差を乗り越えて

自由に学べるようなソフトを作りたい。別に、教科書通りでなくてもいい、

興味があるなら好きなだけ脱線できるようにもしておきたい。

 

今では少し違った「仕組み」を考える方向にシフトはしたものの、ICTの力で学ぶ事の楽しさを伝えていきたいという”軸”はこの浪人生の時に定まって、今日までずっと変わっていません。

浪人中にかけた親への負担や自身の中で失ったチャンスは沢山有りましたが。嫌でも勉強と向き合う中で考える機会がこうした自分の軸を作ってくれたのは間違いないと思います。

 

#ただ、こんな事を考えたり、妄想したり、関連情報を調べたり、

#個人的なプログラミングの勉強の方が楽しくなったりで

#結局成績が一向に伸びなかったという、浪人生的にはダメダメな生活を送る事に

#なってしまったのはここだけの話、ですが。

 
(次回に続きます)