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モチベーションワークス株式会社 および 一般社団法人iOSコンソーシアム 代表理事 野本 竜哉 による、ICT機器を活用した学習の動向をレポートするブログ。ここでの投稿内容は、所属組織を代表するものではなく、あくまで個人としての情報発信となります。

企業として教育分野に働きかけて得た5つの反省点 -KDDI退職にあたっての振り返り-

 突然ですが、2017年430日を以って、KDDIを退職する事になりました。本エントリーはKDDI所属として書く最後の記事という事になります。

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 今後については追って報告しようと思いますが、”KDDIの野本”として、教育をICTで拡張するためのチャレンジはここで一旦終了となります。そこで、良い機会なので会社を通して教育分野に対して動いてきた事を踏まえ、書ける範囲でこれまでの”振り返り”をしてみようと思っています。あくまで本記事は「私個人の考え方」にすぎませんが、企業目線で教育分野の”ICT化の推進”を考え、動く中で自身の課題と感じた反省点を5つにまとめました。同じように企業としてこの分野に挑む方や、参入を検討している方に何らかの形で参考になれば幸いです。

 なお、本エントリーはそれなりに長いです。また、いわゆる「退職エントリー」ではなく、いくら読み進めても「KDDIの何が不満で辞めたのか」とか、そういう内容は一切出てきません。あらかじめご容赦ください(笑)。

 

今回、強い自戒の意味で書き残しておきたい「5つの反省点」は、以下の通りです。

1. 自身の教育×ICT分野における”軸”が明確ではなかった

2. 教育を”事業”として成り立たせるための勉強が足りなかった

3. フロー情報に惑わされすぎた

4. ”ICT”が教育を変えると誤解していた

5. ”教育”そのものの理解が圧倒的に不足していた

 

順番に記載していきます。

 

1. 自身の教育×ICT分野における”軸”が明確ではなかった

 私が「教育×ICT」に強い関心を持ったのは、自身が大学受験(特に数学IIIC)の学習で非常に苦労する中、浪人中に触れた「海外の動く数学解説動画」で理解できなかった数学の疑問が一瞬で氷解した経験からです。なぜこれを学校では使わないのか。こうしたツールがある事で救われる人はたくさんいるのではないか。そうした思いから、教育の可能性をICTで”拡張”したい、と考えるようになりました。この想いから、大学・大学院では情報工学の立場から教育へのアプローチを考える活動を続け、卒業後はKDDIICT側の立場から教育をどうしていくかを考え続けていきました。

 ただ、実際に仕事で教育分野に携わる事になってからも、”教育”という広い領域のどこにアプローチするかが、明確にならないままでした。ひと口に教育といっても、学校で言えば幼稚園、小学校、中学校、高等学校、大学、社会人学校までありますし、学校の設立母体で言えば国立・公立、私立、株式会社立といろいろあります。さらには学校以外にも塾や家庭教師・家庭学習の領域もあれば、そもそも教える内容が学習指導要領の範疇か、それ以外の領域か、と非常に細分化できます。その中で、自身がどこのどの課題に対して働きかけるかが、ハッキリと絞り込めないままでいたのです。

 ある時は貧困対策が気になり、ある時は公立学校・教育委員会へのアピールに傾倒したり、ある時は個人向け事業を検討したりして、”教育をICTで拡張する”という当初の目標だけは持ちながらも、各種領域をフラフラとして「どの部分をICTにより”拡張”させ、課題の解決につなげるのか」が曖昧なままだったのです。

 これは、KDDIが教育分野から見ればニュートラルな立ち位置に居たことも遠因かもしれません(会社が悪いわけではなく、会社の立ち位置に甘えていた自分が悪い)。様々な業界・領域の方と接点が持てるメリットは非常に大きかったのですが、結果として課題を絞り込み、そこにコミットする勇気や、何かを取ることで何かを捨てたり敵に回す覚悟を持てず、八方美人的な振る舞いに終始した私の心の弱さの表れだったと反省しています。

 

2. 教育を”事業”として成り立たせるための勉強が足りなかった

 企業として教育分野にアプローチするには、それを通じてお金を稼げる事、そして利益が出てそれを源泉に次のアクションに繋げていく事が不可欠になります。いくら教育分野に対する情熱があっても、その活動が組織の掲げる目標(売上・利益・顧客接点・顧客数・継続率などのKPI)に貢献出来ないならば、それはボランティア活動とか個人の時間でやってください、という話になるのは当然のことです。

 一方で、教育分野ではボランタリー精神で個人の時間が費やされることで動く仕組みが随所にあったり、本来なら有償であるべき品質の高いサービスが無償もしくは圧倒的なディスカウント価格で提供されたりするケースが多いのです。しかも教育現場もそうした”支援”に慣れている所があります。特にICT関係は、SEなどの技術力が必要なケースが多い一方で、技術力やノウハウ、保守運用といった無形のものにもお金が必要なことは中々理解されていません。利益が殆ど出ないにも関わらず「買ったのだからサービスしてもらって当然」という言われ方をする事も少なくないのです。

 ただ、自治体・学校・医療・介護といったアナログの割合が多い業界は、ICT化の市場がまだ残っている領域です。IT企業にとってはまさに「フロンティア」なのですが、今までの企業の営業スタイル(いわゆる一般的なBtoBの商習慣)が通用しにくく、ICT化が進んでいないゆえに机上調査で出てくる情報も限定的、さらにそれぞれの領域に独特の文化があって、それに触れるには実際に現場の人と接点や交遊範囲を持たないと難しい、といった高い参入障壁もあります。参入しても、当然その領域で長く活躍している既存のプレーヤーが強く、安売りによって売上は多少上がっても利益が付いてこない可能性が高い。利益が上がらなければ人もモノも投資できないため、継続的な事業活動が出来ない。結局、大抵の企業は「技術料対価をきちんと払ってくれる=利益が出しやすい」業界を優先する。おそらく、教育分野に参入を試みても撤退する企業が多い一つの理由は、ここにあるのだと思います。

 しかも、これらの残された領域はいずれも一度導入した仕組みが途中で無くなると影響が極めて大きいと言えます。しかし、教育分野では「実証実験」と称して一時的にICT環境が整備され、それをマスコミが取材し情報だけは拡散されたものの、事業が継続できる仕組みが確立できず、後に機材が撤収され生徒児童も教職員も困惑する、ということが全国の各所で起きています。(その事実は殆ど報道されたり、大きく指摘されることもないように感じています…。)

 そうした課題を認識し、打ち破ることが重要なのですが、当方の場合はそれを認識していながら、「継続的に利益を確保しながら現場に貢献し続けられる”ビジネスモデル”」が構築できなかったのです。言い換えれば、制約条件を踏まえた上でビジネスモデルを立案できるだけの勉強が足りなかった。せっかく、教育分野に仕事として関われる機会をいただきながら、1.で述べた”軸”が明確でなかったことも一因となり、課題に対する解決策を熟考できなかったのが二つ目の反省点です。

 

3. フロー情報に惑わされすぎた

 教育業界に関わっていると、FacebookTwitterなどのSNSで日々流れてくる業界の情報(フロー情報、参考:https://www.idia.jp/report/stock-and-flow-information/)がどうしても気になってきます。業界の著名人や、強いポリシーで教育×ICTを推進し実践されている先生方、それを同じくらい強い想いで支えている企業や自治体・学者の方、場合によっては中央省庁の方などの声も入ってきます。それ自体は私が人脈に恵まれたこともあり、ありがたいことなのですが、問題はそうした方々の発言内容と、発言者の「立場」や「実践内容」・「経験の長さ」といったステータスが分離できず、「誰の発言か」によって自身の解釈が多少なりとも振り回されることがあったことです。

 具体的には、学習指導要領の改訂であったり、プログラミングや道徳、英語の義務教育への取り入れであったり、部活動や校務のあり方であったり、通学や学校周辺の安全性であったりと、教育を取り巻く話題は幅広く、時にセンセーショナルに取り上げられます。そうした情報に対する意見が誰の発言かを見てしまう部分が少なからずありました。それ自体はある程度仕方ないのかもしれませんが、悪い事に自身の「人に影響されやすい性格」も相まって、いつのまにかそうした「発言力がある人」「業界の重鎮」と言われる人や、統計データなどを用いて「もっともらしく主張をしている」人の論に流されてしまっていました。

 常々、私は「人と論を分けて考える」ことを意識しようとしているつもりです(人間として微妙な人でも、その人の特定の論や意見が正しい時には支持する、逆も然り)。特に教育のステークホルダーとしては教職員などの教育従事者だけでなく、保護者の目線、そして何よりも学習者(児童生徒学生)の目線、そして2.でも述べた「売上・利益などの経済的な目線」などを包含しバランス良く考えるべきで、だからこそ「教育に詳しくない普通の人」が一見微妙に見える発言をしていても、その中には重要な示唆が多く含まれると考えています。

 しかし、どうしても発言の多い「教育に携わる業界人」の情報が周囲に多くなってくると、それらの声に影響されてしまいます。更に言えば、そうした業界人の中には○○/△△派といったような、複数の思想の系統が並存し、それぞれが独自の実践や試行錯誤に立脚した強い想いで主張が飛び交っています。本来、自身の主義主張や想いが明確になっていれば、そうした意見の自身に合う部分とそうでない部分を見極めた上で検討ができるのですが、それがない自分は、それぞれの主張の中庸を取り、誰とも対立しないように無難な意見に落ち着かせようとしていました。本来ならば、本や過去の研究・論文などの「ストック情報」を丁寧に読み解き、事実と感情を切り離し、教育を多方面から立体的に考えることが必要だったのです。

 原因は明確で、1.の”軸”がきちんと定まっていないこと、そして進むべき道とも言える2.のビジネスモデルが固まっていないこと、そして後述の4,5も影響したのだと思っています。これが3つ目の反省点です。

 

4. ICT”が教育を変えると誤解していた

 よくiPadが学校・授業・教育を変える」とか「ICTによる教育イノベーション」とか、そういった表現がメディアの見出しに踊っています。何を隠そう、私自身もブログや一部のwebメディアに寄稿するにあたり、そうした”ICT万能論”風の論調に加勢し、業界を扇動しようとしていた部分があったことを素直に認め、反省しています。これが4つ目の反省点です。ちなみに、この事に気づいて以来、私はwebメディアに記事を寄稿することを原則やめ、主に「自身が学習者の立場でICTを活用した実践報告」や「ICTの導入を技術的にサポートする人のための情報発信」に絞って発信をするようにしました。

 正直に言って、ICTのインフラやタブレットなどのデバイス、その上で動作するアプリは「名脇役」ではあれど、「人」の介在が全くないところで勝手に浸透するものではありません。学校であれば教職員、自宅であれば保護者、塾であれば講師、toC向け学習アプリならば「一緒に学ぶ友人」や「おすすめしてくれる信頼できる人」など、教育とその周辺価値を動かしているのは実質的に「人」だからです。もちろん、友人や大人の介在を最小限にして独力で走れる学習者も中にはいますが、それは全体から見たらほんの一握りの人であり、真に浸透させて教育分野に山積する”課題”を具体的に解決させたいのであれば、”人の力”なしには成し得ないと私は考えます。

 一方で、人の力だけで課題を乗り切ろうとすれば、それは多くの場合「根性論」的なものに帰結し”労働搾取”のような方向性になってしまいかねません。よって、人の力でより良い教育を追い求めることと、ICTで教育の課題解決を追い求めることは、両輪として進めていくべきことと考えています。(結果、私は後者の「ICTで教育の課題解決を追い求めている人」にフォーカスし、その人に役立つ情報で自身が出せるものに絞って記事を書くようにしました。この点だけは、自身の中で絞り込みができました。)

 ちなみに、私は”ICTが”教育を変えるわけではないことを、学生時代の塾講師のアルバイトで一度認識しています。しかし、企業の中で生きているうちに、どこかでICT中心マインドに戻ってしまい、締め切りに追われてきちんとした考察をしないまま脱稿した記事で「ICT万能論」の拡散に加担し、さらにそうした論調を教育関係の方に言ってしまって反感を買っていた部分も多々あったと猛省しています。

 正直に言うと、ICTによる「イノベーション」とか「パラダイムシフト」といった言葉って、なんだかカッコいいし、体裁の良さそうな見せ方をするにはとても都合の良い言葉なんです。なので文字数に制限のある原稿やプレゼンを作ろうとすると、どうしてもこうした耳障りの良い用語を使ってしまうことが多々ありました。でも、それを一歩引いた目で見直して、それがどのように教育の関係者に解釈されるものなのか、大した実体もないものを言葉で不必要に大きく見せようとしているのではないか、そのための出汁としてICTのメリットだけを過大に誇張していたのではないか、それにより一旦は人や仕事や案件を動かすことができても、その先の最も重要な「持続性」という部分に貢献できない状況を自ら作り出していたのではないかこうした反省がだんだんと、強くなっていきました。この点は、次の5.に挙げる課題に真摯に向き合うことで、解決に向かわせたいと思います。

 

5. ”教育”そのものの理解が圧倒的に不足していた

 最後にして最も大きな課題がこれです。教育は、自身が児童生徒・学生である期間を大抵の人が経験していることもあり、ある意味「1億総評論家」になりうる領域とも言えます。自身も、冒頭に述べた通り浪人時代に触れたICTの可能性が行動の原動力になった他、小学校1年生の時にアメリカから帰国した際の日米の教育習慣やクラスメートの雰囲気の違いで少なからず”嫌な思い”もしています。そうした直接経験がその後の教育観点の基準になっている部分が多分にあります。

 だからといって、自身の経験・体験がすべてのケースに適用できるわけでは、当然、ありません。私が”既存の教育”の内容を理解していたか、学校教育に関する法規や意思決定構造や、中央省庁やその諮問機関がどのような検討をし、複数の施策や検討体の議論と方向性がどう結びついているか、それらの文献や情報・それを取り巻く議論にどの程度触れたのかというと、間違いなく自身は”勉強不足”でしたし、時には”誤解”もありました。しかも、私は教育学部の出身でもありませんし、教育実習の経験も教職課程の受講歴もありません。教育の現場に関わった経験はせいぜい、3年間の塾講師経験くらいで、それを”教育経験”と称してみても、現場で実践を日々積まれている方から見ればゼロに毛が生えた程度のものにすぎません。

 そのくせ、両親が教育関係者で、幼少期からこの分野の話を聞いて育ってきたこと、自身でも教育とICTという領域に対して長く主体的に考えてきたこともあり「この分野には一定の経験値がある」というプライドが先行してしまいました。そうした私がブログやwebの記事で、さも「教育をわかっている風」に文言を並び立てる様子は、この業界に長く真剣に取り組まれている方にとっては非常に不快に写ったことと思います。事実厳しい指摘も何度も頂きました。この点は本当に猛省しています。申し訳有りません。

 この状況を打破すべく四苦八苦していたわけですが、最後まで私を悩ませたのが「絶対的な時間の不足」でした。といってもそれは自身が原因なのですが…。それは、これまで記載してきた通り、注力分野とそこへのアプローチ手段が曖昧であり、広い分野の情報を無理にインプットしようとしたという失敗に尽きます。”教育とICT”を標榜する様々なセミナーやイベントに足を運んだり、中途半端にいろんな文献や情報を仕入れて耳年増のようになったり、それらの情報が消化不良になってアウトプットが全て中途半端になっていたり、という状況でした。

 結果、準備や計画が明らかに不足している中で見切りで動こうとし、自身の教育の知見そのものが足りないこと、そして課題やビジネスモデルが絞れていないが故に解決に向けた時間が足りないことから、物事が動かせずに終わっていった例は枚挙にいとまがありません。よく言われる”走りながら考える”を意識したこともあるのですが、それは少なくとも走る方向と手段が決まっていて、それを推進するために出てきた種々の課題に対して使う言葉であって、私のように何も決まっていないのにとりあえず走る時に意識するものではありません。時にその無謀なランニングに他の人を巻き込んでしまい、結果としてその人の期待を裏切ったり、がっかりさせるケースを積み重ねてしまいました。

 ただ、これだけの反省点を抱えながらも、私は教育の分野から離脱することは当面、考えていません。教育という領域を通して社会に横たわる多くの課題を一つでも解決・改善したいというのが私の人生の至上命題だと本気で思っていますので、まだまだ足りませんが、これからも”教育”を理解するための努力を重ねていきます。自身が学ぶことをやめたら教育という業界に関わっている人間としては実質的に死んでいるのと同じだと考えていますので、5.が私にとっての1番の重要課題でです。

 

 

ということで、5つの反省点について書いてみました。

 多くの方が口を揃えておっしゃることではありますが、ICT化されずに残っている領域には、それなりの理由があり、そこに挑むのであれば充分な計画と準備、そしてその領域の勉強が必要であることは、本当にその通りです。同じことは、ICT化の次の段階として考えられるIoTAIの導入でも言えるかもしれません。

 

 以上が私の約8年間のKDDIでの社会人生活を通じて学んだ反省点です。多くの反省は残ったのですが、後悔はしていません。こうした経験をさせてくれたKDDIには本当に感謝していますし、KDDIという会社は、今までもこれからも、私の大好きな会社であり続けることは間違いないと思います。というのも、今回の退職は個人や家庭の事情によるもので、KDDIが嫌になったわけでも、KDDIとして動くことが嫌になったわけでもないからです。

 KDDIは私にとって最初から最後まで「いい会社」でした。当方のように2浪して決して有名・有力とも言えない大学出身者をきちんと受け入れてくれたこと、配属直後の若手の意見を立場のある方がきちんと聞いてくれたこと、その結果として若手のうちから課題に働きかける機会を与えてくれたこと、学歴ではなく人と仕事を見てくれたこと、故にこんな自分でも管理職登用のチャンスを与えてくれて、実際に登用してくれたこと、など。社員の皆さんも総じて物腰が柔らかい「いい人」が多くて、手堅いけれどチャレンジする風土があり、ベンチャー企業に対する理解もある、などなど。いろんな意味で、良い会社でした。
(あと完全に余談ですが、毎朝本社ビルの1Fで掃除をしながら一人一人に気持ちの良い挨拶をしてくれるおばちゃんは本気でレスペクトしてます)

 

 次のステップでも、教育には関わり続けます。が、嬉しい事にこの1月に第一子に恵まれ、家庭での役割もより重要になりました。そうした事情から、仕事を通して1-5の反省点に向き合い、家庭では家庭としての役割もしっかりとつとめながら、前に進むべく、心機一転、頑張っていきたいと思います。

 

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。そして、KDDIを通じてお世話になったすべての方に、この場を借りて御礼申し上げます。